2012 PDGA Disc Golf World Championships – Charlotte, NC
7月17日から21日に架けて、米国ノースカロライナ州シャーロットで開催された、2012 PDGA Disc Golf World Championshipsに出場する機会をいただきました。諸岡さんと共にMPG (Men Pro Grandmaster)部門に参加して参りました。私の成績はお恥ずかしい限りですが、過去に参加したArmature部門との違いなど今大会で感じたことをご紹介いたします。折りしもロンドンオリンピックが開催される直前の時期でしたが、まさにDisc Golferの夢の舞台でした。予選は、4日間で3コースを6ラウンドします。
Grandmaster部門が使用したのは林間中心のコースでした。そのうちの一つHornet’s Nestは、オープンな前半と狭い林間の後半部分がバランス良く配置されていて、印象深いコースでした。予選最終ラウンドは、Thunder Stormに拠る待機で、ラウンドを終了したのが午後9時少し前という前代未聞の経験をしました。
また、Team Japan の皆さんのDisc Golf談義を毎日聞けたことも大きな経験でした。今回初めてプロ部門に参加して感じたアマチュア部門との違いは、今更ですがそのDiscを扱う技術力の差でした。狭い林間コースを正確に抜いてゆくティースロー、木に当ててフェアウェイを逸れても大怪我しないリカバリー、10メートル圏内のパットはほとんど外さない等、「ボギー」を出さないGolfでした。
初日、最初のラウンドで一緒に回った、ペンシルベニア州の Joe Mela選手は、PDGA Technicianの肩書きを持つ、文字通りのTechnicianでした。また、Mela選手はパーティー内のオーストラリアから参加した選手が、Discをバッグに戻すために2メートル程離れたバッグに投げ入れた行為にに対して、国が異なることも考慮しながら適切な注意をしていたことが、とても印象的でした。そして、アメリカの50代は皆元気でエネルギーに溢れていました。よくしゃべり、ラウンドを心から楽しんでいるようでした。また、何人ものプレイヤーがWifeかGirl Friendなのか分かりませんが、女性同伴でラウンドしていました。
頑張れ、日本の50代! 最後に出場機会を下さり、様々な手配や準備を支援してくださったJPDGAの皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
#8100 Kawai
<2012ワールド レポート> 諸岡
7月14日(土)、白井さん、菊地君、諸岡の3名は11:30成田発のJAL便にてボストンを目指して出発。河合さんは別ルートで単独渡米、翌日、現地で合流の予定だ。搭乗機は、この6月に就航となったばかりの最新鋭787型機とあって、3名ともやや興奮気味(笑)。
13時間のフライトを経てボストンに到着。ここから国内線に乗り換え、ノースカロライナ州シャーロットまでさらに約2時間強。到着したのは現地時間の夕方5時を回っていたが、この時期は日没が夜9時頃なので、まだまだ陽は高い。さっそくレンタカー会社に向かい手続きを開始・・・。
ここで最初のトラブル発生。
小生、日本の運転免許証を忘れてきてしまったのだ。国際免許はあるものの、これだけでは「ノー」だと言う。現地で車がないのは致命的である。ふと、財布の中に更新の際にそのままにしておいた古い免許証があったのを思い出し、ダメ元で交渉を試みると、番号が一緒なのでこれでオーケーとのこと。やれやれ、いきなり手痛いOBを出さず、ホッと胸を撫で下ろす。後になってよくよく考えてみれば、パンチ穴の空いた期限切れの免許証など通用するはずなどない。カウンターのやけに陽気な中年黒人男性が気配りしてくれたのか、キャンセルになって儲けがゼロになるよりはマシと思ったのか、今となっては定かではない。ま、アメリカ人のおおらかさ(大胆さ?)を垣間見たとしよう。
レンタカー2台連なって、案の定、道に迷いながらもオフィシャルホテルに無事、到着。車を降りるや否や、PDGAヘッドのグラハム氏一行や、クレイジー・ジョン・ブルックスに再会する。ロビーでグリーンウェルに挨拶されたり、那須のジャパンオープンで出会ったプレーヤーたちに声をかけられたりと、ワールドにやって来たという実感が込み上げてくる。
しかしながら、残念なことにオフィシャルホテルはかなり老朽化が進んでいて、エレベーターも遅いし、快適とは言えなかった。当然、部屋には冷蔵庫もない。確かに交通の便の良い立地にあるのだが、周囲に歩いていける店舗がひとつも見当たらない。とりあえず、近所を車で散策していると、大手スーパーマーケットの「ターゲット」を発見。さっそくクラーボックスと氷、ビール、食料を買い込み、この日は部屋でテイクアウトのピザで夕食。朝食も部屋でサンドイッチを作り、簡単に済ますことに。このようなパターンが最後まで続くとは、誰も想像しなかったのだが・・・・。
現地7月15日(日)
9時からのチェックインに時間前から長蛇の列。ようやくプレーヤーズキットを受け取り、下見へと向かう。キットの中身で一番嬉しかったのが、実は栓抜き。前夜、苦労してビールの栓を抜いたのは何だったのか?(笑)
プロ・アマ同時開催、全部で14のコースを使用するという規模の大きさ。プロ部門は、4日間でそれぞれ3つのコースをラウンドするスケジュール。今回、菊地君がオープン、小生と河合さんがグランドマスター、白井さんはシニア・グランドマスター部門参加とそれぞれの会場が異なる。下見のローテーションも重要だ。菊地君は、とにかく「ルネッサンス」のコースが気になると言うので、単独で下見へ出発。小生と白井さんは、韓国のキムさんと一緒に「アイドルワイルド」へ。
比較的新しいこのコース、池越えの2ホール以外は、すべて林間という設定だ。こんな雑木林の中によくぞ作ったものだと感心させられる。距離こそ短いが、迷路のように入り組んでいて、いったん樹や枝に当ててしまうと次のショットがとてもシビアになってしまう。今回、シャーロットのほとんどのコースに共通していたのが、林間ホールの多さだった。オープンワイドな飛距離優先のコースならば不利だが、これなら自分も互角に戦えるかも、と、この時は信じていたのだが・・・・。
ひと回りしたところで。キムさんがフィールドイベント会場に行きたいとのことで、いったんホテルに戻り、白井さんと二人で今度は「ブラッドフォード」へ向かう。レンタカーのナビ頼りなのだが、フリーウェイの出口を一度間違ってしまうとかなり時間をロスしてしまう。しかも、会場までの入り口がわかりにくく周辺を行ったり来たり。バナーのひとつでも立ててくればわかりやすいのに、と思ってしまった。この辺の大雑把さが、いかにも自己責任の国・アメリカらしいのだが・・・。
ここのコースは林間と一部オープンワイドなホールとの組み合わせで、バランスの良い配置。我々が使用するのはショートティーだが、それでも充分に距離はある。ウォーターハザード、OBもタイトで気が抜けない設定だ。
予定では軽く下見を済ませて、ちょうどホテルに着いているはずの河合さんをピックアップし、再び「アイドルワイルド」を回るつもりだったのだが、大幅に時間がずれてしまう。さらに10Hに着いたあたりで空模様が急に怪しくなり、雷雨に。あれよあれよという間にゲリラ豪雨状態。出発前に九州の大雨災害の報道を観ていたが、大粒の雨と雷は危険を感じたほどだった。毎日、日中は30度を超える暑さとなるが、湿度が低いので耐えられないほどではない。ただ、夕方近くになると決まってどこかで雷雨になる。翌日など、突風も加わって、ホテルの5階からの光景は、まるでパニック映画のワンシーンを観ているようだった。
結局、その日はそれにて終了。
ホテルで16時頃にピックアップする予定だった河合さんは、ロビーのソファで熟睡してしまっていて、先に戻ってきた菊地君に起こされたとのこと。すみませんでした・・・。
7月16日(月)
月曜日からはそれぞれの部門毎に別れて行動開始。菊地君は単独で、白井さんはキムさんと、小生は河合さんと行動を共にすることに。まず、決勝でも使われる「ホーネットネスト」へ。これぞアメリカンというイメージぴったりの刈り込んだ芝生が印象的なコース。やはり半分は林間で、しかもアップダウンに富んでいる。林間に屹立する地上から10メートルはあろうかという高いゴールも特徴的。どうやらゴール周りにひと工夫凝らすのが、最近のアメリカのコース作りの主流のようだ。
会場近くの「デニーズ」で、ようやくまともな食事にありついて気分も落ち着く。余談になるが、アメリカ人の肥満問題はファーストフードが諸悪の根源。田舎になるほどその傾向は高い。シャーロットでもかなりの肥満体が闊歩していた。
まだまだ貧困問題がそこには見え隠れしている。
午後は「ブラッドフォード」を1ラウンドして下見終了。
同じく下見に来ているプレーヤーの数も倍近く増えてきた。
19時からオフィシャルホテルにてプレーヤーズミーティングが始まる。1000名以上の人数がホール内に集結する様は圧巻。チームお揃いのユニフォームで陣取るグループやトップ・プロ選手たちの顔もあちこちに見える。オープニングセレモニーでは菊地君が日本国旗を掲げて会場内を行進。いかにもワールドらしい演出である。ただし、プレーヤーズミーティングといっても、ルール説明など細かい話は一切なし。役員、TDやボランティアスタッフ等々、関係者の紹介が延々と続く。ホール内は異常に冷房が効いていたので、寒さに耐えきれず、早々に退散することに。
7月17日(火)
本日からトーナメント開始。プロGMは「ブラッドフォード」を午前と午後の2ラウンド回る。わかりにくい会場入り口も下見のおかげでスムーズに中へ。簡易テントひと張りのみで、TDが1名というシンプルな本部。9時スタートとだけ告げられ、それぞれのスタートホールに向かっていく。
緊張しないと言えば嘘になるが、同じGM年代ばかりなのでいささか気が楽だ。小生の最初のパーティはお互い顔見知りらしく、和気あいあいとした雰囲気。皆、全米中から集まり、再会を喜んでいる。それにしても彼らはよく喋る。移動の間でもティーを待っている間でも喋りっぱなし。始めはプレーよりも話についていくのが疲れるといった風だった。
スタートからしばらくはパープレーだったのだが、林間でハマり始め、斜面上のゴールにパットが蹴られて転がる等、アンラッキーなプレーが続いてしまいスコアが伸びない。というよりミドルでのバーディチャンスがなかなか活かせない。同じパーティで回ったメンバーも、皆、お世辞にも上手いとは言えないのだが、飛距離が違うので、林間でもミスしなければバーディ圏内に楽々届いてしまう。オープンなホールならば120mあたりまで楽々とコントロールしていた。また、下位グループのプレーヤーでもパットは安定していて、ある選手はロングパットを決めるたびに、「このパットができるから俺はプロとして出ているんだ」みたいに話していたのが印象的だった。
河合さんのパーティには、前マスターチャンプでUSDGCのファイナリストにもなったことのある、ジョー・メーラが一緒だったそう。彼は現在、PDGAのテクニカルアドバイザーで生計を立てているプロで、いろいろアドバイスしてもらえたそうで羨ましい。
結局、初日は午後のラウンドも攻めきれず、翌日の挽回を期することに。
この日、次なるトラブルが白井さんに発生。
昼休み後に、同行していたキムさんが、うっかり車のキーを車内に入れたままロックしてしまったとのこと。幸い白井さんはディスクバックを外に出していたので事なきを得たが、気が気ではなかったよう。キムさんは白井さんから5枚ディスクを借りてラウンドしたそうだが、そのほうがスコアが良かったと苦笑い。
この日の夜はオフィシャルホテルにてフライマーケットが開催された。しかし、内容はまったく期待はずれ。ショップの数も少なく、目立ったニューディスクもなく、当然ながら150クラスは皆無。バックやシューズなどアクセサリー類も見当たらない。大会期間中、常設していたプロショップのほうが、よっぽど充実していた。
7月18日(水)
大会二日目、GMは「アイドルワイルド」を午前中だけのラウンド。このコースで巻き返しを目論んでいたのだが、この日も魅入られたかのように樹に当たり、スコアを伸ばせず。
朝、駐車場でトップグループにいるグレッグ・ホッスフェルドに再会。ジャパンオープンで昭和記念公園に来たことなど、しばし昔話に花が咲く。彼も50代後半になったはずだが、試合前の入念なストレッチには見習うべきものがある。本番前に駆け足で主要なホールをバックハンドとフォアで1枚ずつティーを投げて確認していた。彼は後半追い上げ、最終的に決勝に進んで2位になっている。
この日は午後からの白井さん、キムさんと入れ換えに会場を後にする。ホテルに帰って河合さんと、しばしシェスタ(昼寝)タイム。ふう〜、生き返った!
時差が13時間なのでどうしても心身ともに負担が出てくるのはしょうがない。夕食は軽くすませ、朝昼をしっかり食べるようにして何とか体調を維持できたと思う。帰国後、白井さん、菊地君ともに体調不良を訴えたそうだ。きっとワールドの長丁場の試合の疲れが出たのだろう。
この夜のイベントはPDGA主催のバンケット。軽く食事だけ参加して早々に退散。ニコが表彰されていたそうだ。
この日、オープン部門にビックスコアが出たとのニュース。
地元のマイケル・ヨハンセンがブラッドフォード(ロング)で−17(パー58で41)という、あわやパーフェクトというスコアを達成! 禿げ+長髪で髭面、いったい彼は何歳なんだ? という風貌で我々の話題になっていた。彼は決勝にも進み、しっかりと4位になっていた。同じコース(我々はショートティー)を回っているだけに、いかに凄い技量かがわかる。
7月19日(木)
3日目はホーネットネストを2ラウンド。前夜の雨の影響で林間の一部のホールがぬかるんでいた。河合さん、ペンシルバニア州から来たボビーとスリーサム。ワールドではキャディというか奥さん、彼女同伴が目立つ。ボビーにも彼女がずっとついて回ったのでスコア記入をお任せした。
こちらにきて感じていたのだが、コンクリートティーがどうもしっくり来ない。長さがきっかり3メートルでたいてい5センチ近く高さがあり、走り込めないのだ。ノンステップもしくは効率よくステップしないとティーができない。ティーの違いを想定したステップ練習が不足していたと反省。
この日、ブラッドフォードをラウンドしていた白井さんにトラブル発生。キムさんがまたまた車のキーを置き忘れてしまったのだ。今度はラウンド終了後だったそうだが、生憎、この日は夕方から激しい雷雨に。リペアサービスの車が到着するまで帰るに帰れず、簡易テントの中でじっと避難していたとのこと。シャーロットでは連日、大気の状態が不安定で、夕方近辺には必ずスコールのような雷雨がやってくる。自然との戦いもワールドならではということを、翌日、自分も知ることになるのが・・・。
菊地君はルネッサンスを攻略できたようで、準決勝が見えてきたようだ。白井さんも上位に残っている。頑張れ日本!
7月20日(金)
事実上の最終ラウンドは、アイドルワイルドで午後2時からのスタート。午前中、プレーヤーズパーティの会場をチェックしつつ、時間があったのでショッピングモールに足を伸ばす。ノースカロナイナ州で一番巨大なモールとあって、とても全部は回りきれなかったが、フードコートで昼食をしっかりとり、いざ出陣。
毎日、おなじみとなった顔ぶれだが、トップグループは接戦らしく日々入れ代わっているのがわかる。ところが、昨日まで一緒だったボビーがスタート時間になっても現れず、ルール上、2名パーティは認められない。最初は前後の組に振り分け、5名パーティにするとのことだったが、TDに交渉して、上からひとり降りてもらいスリーサムに。これが後で功を奏することになる。
開始直前に、雷雨注意報が出たため、1時間スタートを遅らせるとのアナウンス。確かに雲行きが怪しい。
スタートを開始し、5ホール目まで回ったところで雨が降り出し、ホーンが3回鳴る。雷が近づいているので本部に戻れとの合図だ。様子をみて再開するとのアナウンスがあったが、滝のような雨と稲妻がやむ気配がない。つい先ほどまでは快晴だったのに、ゲリラ豪雨の襲来のようだ。それでもプレーヤーたちは傘をさしながら本部前で和気あいあいと立ち話を続けている。本当にお喋りが好きな人種だ。
1時間半が経過した頃、突然、ド〜ンという轟音が響く。
9番ホール近くの樹に落雷したらしい。その様子を見に行こうと皆がゾロゾロ歩き出す。おいおい、危険じゃないの?
結局、小雨になってプレーを再開したのが、18時半過ぎ。
やれるところまでやってサスペンデッド、残りは明朝、ラウンドするとのアナウンス。通常は夜9時までは明るいのだが、雨模様とあって林間内はすでに薄暗い。河合さんは翌日の便で先に帰国予定だったので、我々のパーティだけでもなんとか今日中に終わらせたかった。
雨と滑る足場を気にしながら淡々とプレーを続けるものの、だんだん夕闇が迫ってくる。スリーサムのおかげで我々の進行は早いのだが、前の組がトップグループなので、しばしばティーを待たされることになり、次第に焦りが募る。
3ホールを残す頃になって、ほぼ暗闇に近い状態に。もはやゴールの方向すらわからない。樹に当てようものならロストは確実で、何より時間をロスしてしまう。とにかく視認しやすい色のディスクで刻む安全策で行くしかない。最終ホールは長い右ドッグレッグ、もはや闇の中、勘を頼りに徹底して置きに行く。
ワールド最後のパットは暗闇のゴールに吸い込まれた。
ギリギリなんとかホールアウト。18番ホールのトップグループのパット音が4つ響いた直後にホーンが鳴り、サスペンデッド。時刻は夜9時を回っていた。もはやプレーヤーズパーティに行く気力もなく、早くシャワーを浴びたい一心でホテルに直行。聞けば、白井さんとキムさんは午前中にアイドルワイルドを終えてから、USDGCの会場であるウィントロップまで車を飛ばして投げていたそうだが、コース半ばで雷雨となり引き返したらしい。その体力・情熱には、ただただ頭が下がる。
後日談ではあるが、サスペンデッドになったパーティが何組かあったらしく、下位グループの数名は翌朝キャンセルしたようだった。最終順位が繰り上がっていたので気づいた。
7月21日(土)
河合さんを空港まで送り、白井さんの準決勝を応援にスガオへ向かう。すでに5ホールを終えていてキムさんとキャッディをバトンタッチ。ここのコースは回っていないが、長めの林間とオープンワイドが混じった面白い設定だった。8時のスタートを9時と勘違いしたプレーヤーのせいで、セカンドグループが5名になり、肉迫していた4位の選手と一緒に回れなくなったのを白井さんは残念がっていた。淡々とパーを重ねる白井さん。だが、後半に差し掛かり、マンダトリーで痛恨のトリプルボギー。日本では見たことのないミスショット、俄には信じられなかった。結果論になるが、暫定4位の選手がスコアを崩してホールアウトしただけに、返すがえすも惜しかった。
白井さんの健闘を讃え、決勝の行われるホーネットネストへ移動。会場の駐車場はすでに満杯になっていて、近所の離れた場所に停める。公園の敷地内はすでに人、人、人。ホーネットネストの名前の如く、蜂の巣のように人が群がっていて異様な雰囲気に包まれている。この熱気こそ、プロ・アマ同時開催の醍醐味と言えるだろう。
各部門の決勝が順に行われていて、時より大歓声が聞こえてくる。プロマスター部門はケン・クライモがリーダーで登場、危なげなく優勝をさらった。ちなみに2位はバリー・シュルツ。しばらくはこの二人の天下が続くに違いない。
グランドマスター部門では、ジョニー・サイアスが終始トップをリードして優勝。この人物、PDGA#1700という大ベテランだが、過去、年に1、2度しか大会には出ていないという輩。アメリカの選手層の厚さをあらためて感じる。
シニアグランドマスター部門は、リック・ボークスが圧勝。
初戦からトップの座を譲ることはなかった。詳しくは白井さんがレポートしてくれるだろう。
レディスの最終ホールでは、ひときわ大きな歓声が。同スコアのままもつれ込んだ最後のロングパットが決まり、ヴァレリー・ジェンキンスを逆転して新鋭サラ・ホーコムが劇的な優勝。
圧巻だったのは、やはりオープンの決勝。ギャラリーの多さはまるでボールゴルフのUSオープンさながら。ホールの両脇には鈴なりの人だかりとなり、スタッフもコースを空けるのに大わらわ。
結果、ケン・クライモと同じフロリダ州クリアウォーター出身のポール・マクベスが2位に5打差をつけて優勝。6月に福井オープンに来ていたウィル君はあと1歩及ばず3位。
2位に入ったのが、リチャード・ワイソッキ。2010年のワールド、アンダー19で優勝した実力者だが今回の台風の目的存在だった。上位3名はいずれも20代前半。ネイト・ドスやフェルドバーグも上位にはいるが、明らかに世代交代の波が押し寄せている。そんな中、予選ラウンドであわやパーフェクトを達成しそうだったヨハンソンの健闘が光る。キャリアの長さから、多分、数年以内にはマスターになる年齢だろう。観衆からも盛んな声援が飛んでいた。菊地君に言わせると、小生にそっくりな投げ方をするらしい(笑)。
冗談はさておき、オープンのファイナリストたちのショットは、想像を絶するものがある。自分からすればもはや異次元空間の飛び。130mの幅の狭いホールもフォアでベタピンにつけてくる精度の高さ。とにかく世界の頂点の技量は半端ではなかった。と同時に、そんなプレーヤーを輩出する環境、難易度の高い常設コースの存在が、日本とは違いすぎることを痛感した。
それでも、今回、菊地君の活躍は誇らしかった。幾多の難コースを150クラスのみで攻め、37位という立派な成績を残してくれた。何しろ、あのエヴリー・ジェンキンスより上位である。白井さんも決勝こそ逃したものの、世界の舞台でも遜色のないプレーは、まだしばらく健在なことだろう。
自分にとっては、デトロイトで参加したワールドから丁度20年ぶりの節目にあたり、ディスクゴルフ人生の中の珠玉の記念となった。その時に使用したエビアスポーツを今回も持参し、大いに活躍してくれたことが大満足であった。
7月22日(日)
1週間のディスクゴルフ三昧を堪能しきって、一同、シャーロットを後にする。白井さんと菊地君はシカゴ経由で帰国の途に。小生は、以前、昭和記念公園で知り合ったボブ夫妻を訪ねてニューヨークに向かう。滞在中、ニューハンプシャー州のワーウィットでディスクゴルフを楽しんだが、ここもトーナメントコースとあって、なかなか手強かった。機会があれば、またいつかプレーしたいものだ。
最後になるが、ツアーの手配等こと細かにサポートしてくれたJPDGA事務局の横田さん、ワールドに心良く送りだしてくれた家族、日本で応援してくれた皆さん、ボブ夫妻に感謝の意を表したい。