第20回記念大会を終えて、清里の森オープンの歴史を振り返りたいと思います。
山梨県北杜市、この清里の森にディスクゴルフコースが生まれたのは2005年でした。
当時清里の森管理公社の浅川氏が昭和記念公園へコースの視察に来られ、新コース9Hの設計をお手伝いしたことが始まりです。管理公社様にはディスクゴルフの普及活動にご理解・ご協賛をいただき、その翌年2006年から清里の森オープンがスタートしました。
第1回大会から第3回大会は、12Hのコースを5ラウンドして競技しました。
コース設定は、どうしても投げてもらいたいと思った135mの投げ降ろし(第20回大会では8番ホール)の使用を一番最初に決めてから、他のホールを繋げて18ホールを設定しました。今大会の競技中に外国人選手から、「このホール(8H)が清里のSignature Holeだね!」の言葉を聞いて嬉しく感じました。
12Hの競技ではPDGARatingが付かないという致命的な課題がありましたが、第4回大会からは待望の18Hコースが実現しました。これも勿論、管理公社様のご理解とご協力があったためで、北側にエリアを拡張することができました。その中で、北側拡張エリアから展望台の斜面のゴールを狙うダブル×2マンダトリーの名物ホールも誕生しました。
清里の森オープンは、「過去の自分に挑戦!」をコンセプトに毎年大会コースは変えずに、去年の自分のスコアにチャレンジできる大会として続けてきました。そのため他の大会では実現できない、過去の自分の平均スコアにチャレンジする「アベレージ賞」も特徴の一つになっています。
しかし、この18Hコースには、本来あってはならないクロスするホールが複数あったり、コースが近接している等のレイアウトの課題がありました。
コロナ前は60名前後の参加者数から、コロナ明けの大会では90名の参加を数えるようになったことで危険度確率も上がり、昨年は練習中のディスクがプレーヤーに当たる等の事故も発生し、安全管理上の問題が表面化していました。
そこで昨年の大会終了後、利用者の増加に伴う安全管理対策として、パークゴルフエリアへの更なる拡大について管理公社様と打ち合わせを持ちました。
その結果、第20回清里の森オープンは、総延長1,524m、平均85.7m、Par56の新生コースに生まれ変わりました。
拡張したパークゴルフエリアの新ホールについては、次のような意見が届いています。
•3H(79m:Par3)は、「難しいけどおもしろい!」「このホールは坂井さんからの挑戦状だ!」、
MPOで優勝した菊地選手でさえ「3Hは予選すべてボギーでした!新たな課題が見つかりました!」と優勝スピーチで振返っていました。
・6H(148m:Par4)は、「Par4に相応しいPar4だ!」、「よくこのホールを見つけたね!」等
今のところ私の耳には肯定的な意見が多いですが、逆の意見もあると思います、機会があれば是非お聞かせください。他には、「ゴールがOBに近いホールが多い。」や「競技中の池のディスク回収は遅延の要因になった!」等の課題の声もいただきました。
来年以降も、今回の新コースをベースに、参加者皆様のご意見に配慮しながらマイナーチェンジを加え、運営上の課題もクリアしながら、今年よりも更に楽しく毎年投げに行きたくなるようなコース大会運営を目指して成長を続けていきたいと思います。
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最後に、20回の歴史の中でホールインワンは何度かありましたが、それよりも難しいと思われる9番ホール(Par4:Uターンするマンダトリーホール)で清里の森史上初のイーグルが生まれました。その偉業を達成した中国から初参加のWeiliChang選手には、YOKAIdisc様からエース賞としてご協賛いただいていた、桐箱入りのディスクが贈呈されました。
また来年!清里で会いましょう!!
コースデザイン担当坂井秀勝